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お金をたかられても、残業を押しつけられても、殴られても、決して怒らない。そんな会社員が身近にいたら、あなたはどう感じるでしょうか。立派な人だと思うか、それとも気味が悪いと思うか?
藤子・F・不二雄のSF短編『ボノム=底ぬけさん=』の主人公、仁吉(ひとよし)さんは、まさにそういう人物です。おでんの屋台で明かされる彼の信念は、笑えるのに、ちょっと背筋が寒くなる。考え方の根本が違う。
この記事では作品の基本情報とあらすじを紹介し、そのあとに感想をまとめます。結末の直前までは触れますが最後のオチそのものはぼかして書いてあります。
『ボノム=底ぬけさん=』の作品データ
- 作者:藤子・F・不二雄(発表当時は「藤子不二雄」名義)
- 初出:『ビッグコミック』(小学館)1970年10月10日号
- 形式:読切のSF短編(ブラックユーモア)
- 主な収録:『藤子・F・不二雄SF短編〈PERFECT版〉』第1集、『SF短編コンプリート・ワークス』第1巻『ミノタウロスの皿』、『藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編』第1巻など
- 映像化:2008年にWOWOWで放送されたドラマ『藤子・F・不二雄のパラレル・スペース』(全6話)の1本として映像化
題名の「ボノム」は、フランス語で「お人好し」を意味するbonhommeに由来するとされています。「底ぬけさん」という副題のとおり、徹底的に人のいい男が主役です。
あらすじ(ネタバレ少なめ)
主人公の仁吉は、おっとりした会社員です。同僚に食券を取られても、残業を押しつけられても、まったく怒りません。あまりにも人として扱われていないのに平然としているのです。
その態度が我慢ならなかったのが、正義感の強い新入社員でした。仁吉の本音を聞き出そうと、おでんの屋台に誘います。新入社員が指摘するのは、仁吉から毎週のように金を借りておきながら、他人には高い利息で貸している「鷹利」という同僚のこと。はっきり断るべきだと詰め寄りますが、仁吉は穏やかに笑うばかりです。
そこへ、ひとりの女性が現れて仁吉に声をかけます。疑う様子もなく応じようとする仁吉に新入社員が小声で教えます。この女性は街に立つ娼婦だ、と。
ネタバレありの展開(オチは伏せています)
※ここから先は中盤以降の展開に触れます。未読の方は、次の「読んだ感想」まで読み飛ばしても構いません。
仁吉が正直に「うわさに聞く娼婦の方ですか」と口にしたことで、女性は気分を害して立ち去ります。ところが、しばらくすると彼女は連れの男を呼んで戻ってきました。仁吉はその男に殴られてしまいます。
そこへ警察が駆けつけ女性と男は慌てますが、仁吉は「階段から落ちたところを介抱してもらっただけ」と、ふたりをかばいます。それどころか、「いっしょに飲みませんか」と屋台へ誘う始末です。
新入社員が「今度こそ腹が立ったでしょう」と聞いても仁吉は怒りません。そして、酒が回った仁吉はついに自分の信念を語り始めます。人の行動は、性格が外の世界と触れ合って起こる現象にすぎない。性格を決めるのは遺伝子と環境であり、人間はそれらに操られる人形のようなものだ。だから誰も責められない——というのです。
聞いていた新入社員、屋台の主人、さっきの女性や連れの男までもが、すっかり感動してしまいます。仁吉を神様のように崇めて手を合わせる始末です。
すっかり上機嫌になった仁吉は家路につきます。ところが、玄関を開けた仁吉の目に飛び込んできたのは、面倒を見てきた学生と妻の姿でした。——この先は、ぜひ本編で、仁吉の表情とともに確かめてください。
読んだ感想:「いい人」の定義をひっくり返される
📌 屋台の場面が昭和の空気でいちばん楽しい
おでんの屋台で成り行きのように客が増え、主人も口を挟み、話題が仁吉に集まっていく。この場面の熱気がとてもいいのです。今の目で見ると昭和のレトロな空気がかえって新鮮に映ります。
📌 怒らない理由が想像のはるか上をいく
仁吉の語る説は、理屈としては「そういう考え方もある」と思える範囲です。けれど、それを本気で生活の中で貫いてしまう人はそういません。他の作品では、同じ発想が快楽主義や虚無主義に流れがちですが、この主人公は「善人」を貫く。その一点が、独特の怖さとおかしさを生んでいます。
📌 全員が仁吉を拝む場面は笑うしかない
つい先ほどまで仁吉を殴っていた側までが、感動して手を合わせる展開は冷静に考えるとかなり奇妙です。酔いも手伝っているとはいえ、人の心が簡単に傾いていく様子には皮肉がこもっています。
📌 『カイケツ小池さん』と読み比べたい
同じ『ビッグコミック』に半年ほどの間隔で発表された『カイケツ小池さん』の主人公も会社員でした。ちょっとしたことでも激しく怒る小池さんと、何をされても怒らない仁吉さん。正反対のふたりが、同じPERFECT版第1集の中に並んでいます。続けて読むと「怒る」とは何なのかを、あらためて考えさせられます。
📌 オチは何も知らずに読んでほしい
この作品は、最後の数ページに全部がかかっています。屋台の場面がどれだけ愉快でも、最後の場面を読んで初めてタイトルの意味が胸に落ちる。短編の切れ味を味わうならこれほど向いた一篇もそうありません。
『ボノム=底ぬけさん=』が読める本
『ボノム=底ぬけさん=』は、藤子・F・不二雄のSF短編を集めたシリーズで読めます。選びやすいのは、次の2種類でしょう。
- 『藤子・F・不二雄SF短編〈PERFECT版〉(1) ミノタウロスの皿』:『カイケツ小池さん』『スーパーさん』『ミノタウロスの皿』など、初期の代表作が発表順に並んでいます
- 『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス』第1巻『ミノタウロスの皿』:『カイケツ小池さん』『じじぬき』『ヒョンヒョロ』なども入った、B6判のシリーズです。
藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿 【電子書籍】[ 藤子・F・不二雄 ] 価格:1320円 |
『ボノム=底ぬけさん=』【まとめ】
『ボノム=底ぬけさん=』は何をされても許す男の哲学を、屋台の語らいから、あっと言わされる結末まで、一気に描き切った短編です。人を許すとはどういうことなのか、怒らないことは本当に美徳なのか。読み終えたあと、誰かとあれこれ話し合いたくなる一篇でもあります。
仁吉さんが玄関を開けたあとの展開は、ぜひご自身の目で確かめてみてください。
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